【ゲーミング読書】五輪書 地之巻(宮本武蔵)
五輪書
最強の剣豪、宮本武蔵によって著された本。
今回はこの本の書評をしていこうと思う。対戦格闘ゲームにも通じる考え方が必ずや学べると思う。それは彼が命のやり取りを通じて、その人生の中から得られた知見がこの本に詰まっているからだ。
全体の章構成は地・水・火・風・空の各巻に分かれており、それに沿って書評も分けて書き記していく。
地之巻
一、兵法の道
宮本武蔵は若年の頃から戦いの道に進み、13歳には初めて勝負を経験し勝利。それから28、29歳までの間、一度も負けたことがなかったという。ちなみに巌流島での佐々木小次郎との決戦は武蔵が29歳の頃と言われている。
しかし武蔵によると、あとから振り返ってみると、これらの勝ちは武芸を極めたことで勝てていたわけではないという。生まれつきの才能から自然と刀の理法にかなっていたためか、他流派の実力不足にあると考えたようである。そしてその後、武蔵は深く武芸を極めることを続け齢50にしてその真髄を会得した。つまりは真髄に達した後にこの書を書いているのである。
一、武士の大将は大工の統領に例えられる
大工の統領は必要な木材を手配し、木々の状態を吟味しそれぞれの特性ごとに、配置を決める。それを木配りと言い、これは大将が優れた人材を適材適所に振り分けることと同じだとしている。またそれによって建てられる家々は歪みなく、安定することから、武家も大将の力量で家の安定が保たれるとした。
リーダーたるもの、部下のマネジメントが肝要で、それが上手ければ組織は安定もすることを説いているのだろう。
一、我が流派を二刀一流と名付ける事
なぜ二刀流なのか。刀は両手で持つもの、
とされているが実践を考えるべきだと武蔵は言う。馬上をはじめ、走る時、人混み、深い田や沼地、険しい坂道、弓や槍などの他の道具を持つ時など、あらゆる状況で刀は両手で持つことが出来ない。
こうした理由から武蔵は、
「両手で太刀を構えることは、真の刀の道にあらず」
と考えた。
このエピソードから、それまで当たり前だとされていた考え方をまず疑い、実戦という視点から刀の道をもう一度捉え直したことが分かる。まず一度当たり前を疑い、自分で確かめる。この大切さを説いているのではないか。
一、兵法の拍子の事
何事にも拍子(タイミング、流れ)が存在し、時には相手の拍子に合わせ、時にはその拍子に背くことが戦いを有利に進める理である。
相手の呼吸を読み取り、その拍子をコントロールすることが出来れば勝負に勝つことが出来る。これは格闘ゲームの対戦においても使える考え方だ。いかに相手を動かすか、それを意識しながらプレイしたい。
最後に
地之巻は残りの巻への導入的な位置付けであり、核心的な内容は次巻の水之巻からになる。
こうした過去の偉人が著した書物からもたくさん学べることがあり、自分の人生をより豊かなものにする助けとなるはずだ。武蔵も書の中で、あらゆる芸事は諸芸に通ずることを説いていた。
何かを突き詰めて、その道で活躍すれば自ずと他の道と邂逅することになるのだ。全く正反対の道を歩んで来たであろう、武井壮と梅原大吾が“成長”に関して、ともに近しい考え方を持っているのも頷ける。
武井壮「毎日自分史上最高」
梅原大吾「1日ひとつだけ強くなる」
あらゆる道の真髄は共通しているのかもしれない。
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